オーロラソング 4
- 2020/03/29
- 17:39

「--あれは忘れもしない先週の事でシた」
「いや先週の事忘れたらやばいですよ」
ついさっきまでは真面目な空気が流れていたというのに、その数分後には打って変わってアホの子みたいな事を口走るミハルさんと律儀に話の腰をへし折っているアホな私がそこにいた。躊躇いが生まれる猶予すらないうちに自分でも驚くくらいキレのある、俗に言うツッコミに類される言葉を放ってしまっていた。
なんと言うか、ミハルさんはナツメさんとは勿論だけれど先生とも全く違ったタイプの人だと改めて思う。
何せ、取り立ててツッコミ気質ではない筈の私でもツッコみたくなってしまうような発言を折に触れてするのだ。しかもミハルさん自身はボケでもジョークでもなく大真面目にそれを言っているのだから非常にタチが悪い。
というのも、ツッコミを入れた後、ミハルさんは「確かにそうでシた、すみまセん!」と非を認めて元気一杯に反省をするのだ。間違ってもミハルさんの事が嫌なわけでは無いとはいえ、ツッコんだ後に真っ直ぐ過ぎる反応をされると何故だかスベッたような感覚に陥ってしまう。
愛想笑いでも浮かべて穏やかに聞き流せばいいのだろうが、私がそれをしようとすると引きつった半笑いでさらに話の腰を折ってしまいかねない気がしたので慣れない気を使うのは諦めた。
それからさらに何回かの漫才のような問答を繰り返した末に、ようやく私たちは本筋の『語彙が欲しい理由』へと辿り着く。
『ホタテさんが最近とても大変そうだから何か言葉を掛けたい。でも上手く言葉にする事が出来なかったので、そのために語彙が欲しい』
かいつまむと、つまりはそういう理由だった。
途中、『相棒さん』と言い掛けたのを『ホタテさん』と言い直す場面が何回かあった事が少し気になったけれど、私も人の事は言えないので言及は控えておいた。何よりも、只でさえ漫才モドキで話の腰がボッキボキに折れまくっているのにこれ以上話が逸れると、話の腰が粉砕骨折して再起不能になってしまう気がした。そしてその場合、後に残るのはおそらく漫才モドキだけだろう。それは出来れば避けたいというのが本音だった。
「言いたいことはたくさんあるんっス。あるハズなんっス。」
悔しそうに首を捻り、呻くかのようにミハルさんは言う。
「でも言葉にしようとすると『頑張れ』とか、そんな短い言葉にしかならなかったんスよ。すっごく悔しかったっス。」
「頑張れって言葉じゃ駄目なんですか?」
この質問は断るための口実を作るための物では一切なく、単純に私の中に浮かんだ純粋な疑問から来ていた。
言葉というのは飽くまでも気持ちを伝える一手段でしかないし、語彙が少ないから気持ちが伝わらないなんて事はないんじゃないかと、対人経験の乏しいなりに私は思うのだ。
薄い言葉の連なりよりも厚い言葉が一つあれば気持ちは伝わることの方が多いはずだ。そしてミハルさんなら、完全に後者に当てはまる気もする。
けれどもミハルさんは真っ直ぐ私の目を見据えて即答した。
「ダメっス。」
頑なで、断固たる、確固とした意思を感じさせるほどにキッパリと断言されてしまった。正直面食らって言葉を返せずにいると、ミハルさんはまた首を捻りながら言葉を次ぐ。
「頑張れって、その……凄く便利な言葉じゃないでスか。便利だから使いやすいっスけど、本当はそんな何にでもかんにでも使って良い言葉じゃないんじゃないじゃないかって、思うんでス。」
納得のいく表現が中々思い浮かばないのか、顔をしかめさせながら探り探りといった様子で言葉を絞り出していた。けれど結局納得はいかなかったようで言い終わってからも、更にもう一度首を捻っていた。『なんでうまくいかないんだろう』と言わんばかりに、一層眉間にシワを寄せて。
一方そんなミハルさんを見ている内に、本人は満足がいかない言葉を聞いている内に、私の中では数分前まではぼんやりとしていた結論が完全に揺るぎないものへと変化していた。
「……語彙は、言葉に触れる事で増やせると思います。媒介は基本的に何でもいいですが、自分が好きなものというのだけは前提条件です。逆に言うとその条件さえ満たしていれば、活字は勿論のこと、マンガ、ドラマ、アニメ、人との会話でだって語彙は増えていくでしょう」
難しそうにシワを寄せたままのミハルさんが、また私をじっと見据える。けれども言われた言葉に意図がわからないのか、少し首が傾いでいるような気もする。
流石に結論を言わないまま話を進めようとするのは無理があったみたいだ。
私は自分でもバツの悪そうに言い淀んでしまったのを自覚しながら、言葉を続ける。ミハルさんの真っ直ぐさを少しでも真似るように意識して、感情をそのまま口に出す。
「……教えるのは、私では荷が勝ちます。」
つい数十分前に私は、『教えられる程の語彙があるとは思えませんし、仮にあったとしても教え方がわからない』という理由で断ろうとした。
でもその根本の方で、私はミハルさんに協力できたらと思っていた。けれど出来ないと決めつけて、間違っているのだと頭ごなしに否定した。
だがミハルさんは言った。『失敗しても、一生懸命考えて正しいと思えた事の結果なら、きっと受け入れられる』と。
だから私は考えた。たぶん生まれて、一生懸命考えるということをした。私なりに考えて考えて、それが正しいことだとも思えた。だから、最終的にこの答えとなったのだ。
……それだけじゃない。私だけでは持つ事の出来なかった自信が、彼女と話す内に私の中でしっかりとを形を為していた。
ミハルさんと二人でなら、先生のためになる何かができる。
そんな確信を、持つ事が出来たから。
「--ですから、ミハルさんに、協力をさせて下さい。」
それまで刻まれっぱなしだった眉間のシワを、まるで手品か何かのようにパッと無くしてミハルさんは表情を明るくさせた。
そうして嬉しそうに笑みを浮かべて、私に手を差し出す。
「ありがとうございまス!これから宜しくお願いしまス!」
改めてそう言われると少し気恥ずかしかった。けれど何とか私はぎこちないながらもその手をとって、こちらこそ宜しくお願いしますと言葉を返す。
ミハルさんが私の手を強く握り返してくれる事が、何故だかとても誇らしく思えた。
語彙は一朝一夕で増えるような物ではないし、それどころかどれくらいの期間が必要かなんて想像すらもつかない。
けれど、私はどれだけでもミハルさんに協力するつもりだし、先生もきっと待ってくれるだろう。
だから、それまではミハルさんとのこの関係を大切にできたらいい。そうしてあわよくば、この協力関係が終わっても別の形で頼って貰えたらいいなと、そんな文不相応な事を私は思いながらミハルさんに精一杯の笑顔を返した。
そんな私たちの協力関係が儚くも数十分後に用済みとなってしまうということは、このとき私は想像すらも出来ていなかった。
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